ニュースレター

スーパースターAI研究者の経済学

原題:The economics of superstar AI researchers

Gradient Updates は著者個人の見解を述べるニュースレターで、Epoch AI 全体の見解とは限りません。

AIは、トップが他の人々よりもはるかに恵まれた立場に立つ分野の一つだ。フロンティア研究所のスーパースター研究者は、同僚の大半の10倍以上を稼ぐ。その同僚たちにしても、年俸わずか100万ドルという「はした金」を得ているのだが。スーパースターは、平均的なAI分野のポスドクの100倍以上を稼いでいることさえあるかもしれない。

Bar chart showing annual AI researcher compensation on a logarithmic scale, ranging from around $50K for postdocs to over $30M for superstar researchers.

AI研究者の報酬の大まかな推定。ポスドクの報酬は NSF の報告書のデータを使って推定した。テニュアトラックの教授については、コンピュータ科学者を対象とした2024年の Taulbee 調査を基準にした。フロンティア研究所の研究者の報酬は、L4〜L5 の OpenAI の研究者については Levels.fyi から、スーパースターについては報道記事から推定した。

では、なぜ報酬の差がこれほど大きいのか。素朴な説明は、一部の研究者がとにかく桁違いに優秀だというものだ。スーパースター研究者は、アルゴリズムや実験を設計するうえで優れた研究のセンスを持っているのかもしれない。あるいは「YOLO 実行」をやってのけるこつを心得ているのかもしれない。深い直観を頼りに、野心的な変更を一度に大量に取り入れる学習実行のことで、普通の人なら個々の変更がうまくいくかを体系的に試して確かめる必要がある。この見方では、スーパースターとはシリコンバレーが深く崇拝する「10倍研究者」であり、報酬の差を生んでいるのは彼らの質だということになる。1

この説明の問題は、非常に不完全だということだ。実際には、スーパースターが平均的なポスドクよりほんの少し優れているだけでも、報酬には大きな差がつくと予想すべきなのである。それはなぜか。

スーパースター効果

手短に答えるとこうだ。能力のわずかな差を報酬の大きな差に変える、よく知られた経済的な力学がある。分かりやすい例を二つ挙げよう。

  • 100メートル走では、金メダリストは銀メダリストよりはるかに大きな報酬と注目を得る。レースの大半は文字どおり横一線の接戦だというのに。Usain Bolt が金メダルを取った2012年のロンドン五輪を考えてみよう。わずか0.12秒差でゴールしたのに、銀メダルを取ったのが誰かを知っている人はほとんどいない。あなたは知っているだろうか?
  • ミュージシャンの中には、ほかよりはるかに稼ぐ人がいる。Taylor Swift を考えてみよう。昨年、彼女は Spotify から6,000万〜7,000万ドルを稼いだ。私と比べて彼女が「10倍歌手」であることは疑わない。しかし、Ed Sheeran、Blackpink、Charli XCX、Lana Del Rey といった、500万〜2,500万ドル程度しか稼いでいないほかの超人気歌手より、彼女がそれほど優れているかどうかは大いに議論の余地がある。
Horizontal bar chart showing estimated 2025 Spotify earnings for five artists, with Taylor Swift leading at approximately $65 million, followed by Lana Del Rey, Ed Sheeran, Charli XCX, and Blackpink.

非常に有名なアーティスト数組の、2025年の Spotify での収入の大まかな推定。Spotify の1日あたりの再生回数に365日を掛け、1再生あたり0.004ドルの収入を掛けて推定した。

この二つの例ではいずれも、能力のわずかな差が、何らかの形で報酬の大きな差につながった。経済学者の Sherwin Rosen はこれを「スーパースター効果」と呼んだ。この効果は、二つの条件が成り立つときに働く。

  1. 一人の仕事が大きな市場に届く。通常は多くの人がいる市場を意味するが、高額を支払う少数の人や企業でもよい。たとえば、Usain Bolt が100メートル走で勝つのを見た人は、数十億人に上った可能性がある。届けられる人が多いほど、スーパースター効果は顕著になる。経済全体で見ても、俳優やミュージシャンのように広く届く仕事は、配管工、看護師、トラック運転手のように一度に一人の顧客に対応する仕事よりも、賃金のばらつきがはるかに大きい。2
Bar chart showing wage dispersion ratios for five occupations, with actors having the highest ratio at 4.2x and truck drivers the lowest at 1.4x.

米労働統計局のさまざまな職業についてのデータ。90パーセンタイルの収入と中央値の比を示す。極端な値(たとえば99パーセンタイル)のデータがあれば、賃金のばらつきの差はさらに大きくなると思う。

  1. 労働の量では質を簡単に補えない。一人の短距離走者の代わりに複数の人を走らせることはできない。レースのルールに反するからだ。そして、Ed Sheeran よりTaylor Swift が好きなら、Taylor Swift のコンサートを見逃した埋め合わせを、Ed Sheeran のコンサートに多く行くことでするのは難しい。

一つ目の条件があると、質のわずかな優位が莫大な追加の価値を生むので、最高の人材に大金を払う価値が出てくる。ただしそれは、量で質を補えない(二つ目の条件)限りにおいてだ。もし補えるなら、もっと安い報酬でもっと多くの人を雇えばよく、最上級の人材を雇うためだけに大金を払う必要はない。3

なぜこれがAIに当てはまるのか

AI研究者は両方の条件を満たしている。市場は巨大だ。ChatGPT には10億人近いユーザーがおり、ごく少数の同じ基盤モデルがそのすべてに提供されている。したがって、一人の研究者の貢献が、すべてのユーザーに同時に波及しうる。

そしてAIでは、研究者の量で質を簡単には補えない。フロンティア研究所は計算資源に制約されているので、新しいソフトウェア上のイノベーションを試すために走らせられる実験の数には限りがある。そもそもどの実験を走らせる価値があるのかについての深い直観が求められるなら、「とても優秀なだけ」の研究者が二人いても、一人の Noam Brown の代わりにはなれない。研究所に時間的な余裕がない場合に、研究者同士を調整する難しさは言うまでもない。4

こうして、2倍研究者であっても、中央値をはるかに上回る報酬を得うる。10億人のユーザーに波及すれば、わずかな質の優位でも莫大な価値の差を生む。そして2倍研究者が、複数の1倍研究者には加えられない何かを加えられるなら、それを手に入れるために大金を払う価値がある。

競争の力学が効果を増幅する

フロンティアAI研究所は、しばしば「競争」の最中にあると言われる。彼らが具体的に何に向かって競争しているのか私にはよく分からないが、人間の労働の大部分を自動化することが含まれているように見えることが多い。勝てばの話だが、その賞金は年に数十兆ドルにもなりうる。このためAI研究所は「全てを賭けるか、何も得ないか」という姿勢をとるよう促され、勝つ見込みを少しでも高めるものには大きな価値がありうる。だからこそ Meta は、OpenAI からトップ研究者を引き抜くために1億ドルの報酬パッケージ(とされるもの)を提示したのである。

原理的には、これが(どう定義するにせよ)社会的に価値のある水準をはるかに超えるところまで事態を押し進める可能性さえある。高頻度取引業者が、取引をほんのわずかに速く執行するために巨額を費やしているのに、社会的な便益がほとんどないのと同じようなものだ。

現実は複雑で、AIの大軍を管理するのも同じく複雑だ

ほかの力も働いている。トップ研究者は、価値ある企業秘密を頭の中に持っている。競合がまだ走らせていない高価な実験の結果であり、再現するには莫大な費用がかかる。また多くはチームを率いてもおり、純粋な技術的研究能力以上の価値をもたらしている。Noam Brown は最近、自分のことを「OpenAI のマネージャー」と表現した。5 これらはいずれも、スーパースターのプレミアムとは別に、賃金格差の一因になりうる。

さらに、スーパースター効果を定量的に分析するのは難しい。6 「研究者の質」を定量化するよい方法を私は知らない。METR の RE-bench のような意欲的な試みもあるが、そこに含まれるのは(「GPT-2 のファインチューニング」のような)小さく独立したタスクであり、何百万行ものコード、あいまいな目的指標、多くの人の間での大量の調整を伴うプロジェクトではない。

しかしこうした複雑さはあっても、スーパースター効果からはいくつか有益なことが分かると思う。一つには、パーソナル超知能を追い求める Meta が法外な報酬で研究者を引き抜こうとしていることについて、いくつかの報道記事を目にした。しかしこうした記事はたいてい、このスーパースター効果という重要な点を見落としている(競争の力学にはよく触れているのだが)。

もう一つの重要な含意は、知能爆発についての考え方に関わる。100倍の報酬格差が100倍の研究者の質の差によるものなら、トップ研究者をシミュレートするほうが、平均的な研究者をシミュレートするよりはるかに物事を加速させるかもしれない。7 しかし報酬格差の多くがスーパースターの力学によるものなら、そうはならない。研究者の質の差は、実際にはずっと小さいかもしれないからだ。

最後に、この効果を知っておくと、近い将来に何が起こるかについていくらか手がかりが得られる。スーパースター効果は今後ますます重要になるだけだと私は考えている。AIを使う人ははるかに増え、一人ひとりがAIシステムをはるかに多く使うようになるからだ。そして研究がClaude の大軍を管理することへとますます移っていくにつれ、深い研究の直観と、研究のマネージャーとしての長年の経験を持つ人々は、おそらく生産性も、財布の中身も、ますます大きく伸ばしていくだろう。

だから、スーパースターの稼ぎはむしろさらに大きな問題になるかもしれない。年1億ドルの報酬でさえ、文字どおり足りなくなるかもしれないのだ。

意見と支援をくれた Andrei Potlogea、Phil Trammell、Josh You、David Owen、JS Denain、Cheryl Wu、Stefania Guerra、Robert Sandler、Lynette Bye、そして Trajectory Labs の多くの人々に感謝する。また、そもそもこのエッセイを書くきっかけをくれた Luis Garicano にも感謝する。

注

注
  1. いや、「1万倍研究者」でさえある! ↩

  2. 決定的な違いは、経済学者が「非競合性」と呼ぶものだ。私がTom Hanks の映画を観ても、あなたが同時にそれを観る妨げにはならず、これは消費者が何人いても成り立つ。しかし、すべての財やサービスが映画のようなものではない。配管工が私の家のシンクを直している間は、あなたの家のシンクを同時に直すことはできない。 ↩

  3. 厳密に言えば、人間の研究者の質の分布についての条件も加えるべきだと思う。スーパースター研究者が大勢いるなら、スーパースターがもう一人増えても大した価値は加わらず、それほど高い報酬は得られないかもしれない。たとえば、Tom Cunningham と Manish Shetty による(非常に興味深い)AI研究開発のリンゴ摘みモデルでは、同じ質の研究者の限界価値は指数関数的に低下する。これは二つの仮定から導かれる。(1)研究者はアイデアの空間から独立に標本を抽出する。(2)研究者の努力が1単位増えるごとに、残っている(発見可能な)アイデアの数に比例した割合で新しいアイデアが見つかる。もちろん、これらの仮定には議論の余地がある。たとえば研究者は、何に取り組むかについてある程度調整できるだろうし、ある程度の多様性もある。それでも、これは興味深い予測だと思う。 ↩

  4. 例として、あるフロンティア研究所が一度に10件の大規模な実験を行えるとしよう。スーパースター研究者は10件のうち3件から知見を得られるが、「とても優秀なだけ」の研究者は10件のうち2件からしか知見を得られない。「とても優秀なだけ」の研究者を増やしても、結局同じ10件中2件の知見しか得られないので大して役に立たない。しかしスーパースター研究者がいれば、研究のセンスがわずかに優れているので、より高い水準に到達できる。大事なのは、研究のセンスが並列化しにくい種類の質だという点だ。100メートル走で0.1秒という絶対的な質の差が極めて大きな意味を持つのと同じように、このわずかな優位が大きな意味を持ちうる。 ↩

  5. フロンティアAI研究所は、研究者の質の重要性を正しく見積もれていないのかもしれない、と論じることもできる。 ↩

  6. また私は研究者の質を純粋に一次元のものとして説明してきたが、質にはさまざまな種類があるかもしれない。クラスタ内の多数のGPUを連携させるのが得意な人もいれば、研究エンジニアリングが得意な人も、新しいアルゴリズムを考え出すのが得意な人もいる。最悪の場合でも、関心のある「研究者の質」の各側面に沿って、スーパースターの力学をそれぞれ当てはめればよいと思う。面白いことに、だからこそ大きな報酬格差が見られるのだ、とさらに強く論じることもできるかもしれない。優れた研究者であるために多くの異なるスキルが重要で、それらが掛け算で組み合わさるなら、報酬の分布は裾の重い(対数正規の)分布になる。まさにスーパースター効果が予測するとおりである。 ↩

  7. これは意識しておくべき重要な点だが、知能爆発を信じる人々にとって、これが議論を大きく支える柱になっているとは思わない。 ↩

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非公式の日本語訳公式ページ(英語):epoch.ai/gradient-updates/economics-of-superstar-ai-researchers