非公式日本語訳 — 原著者・発行元による公式の翻訳ではありません

Eliezer Yudkowsky — 非公式日本語訳

確立された科学の美しさ

The Beauty of Settled Science

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事実は、美しくあるために説明不能である必要はない。真理は、誰かがすでに知っているからといって学ぶ価値が減るわけではない。信念は、多くの人が同じものを抱いているからといって価値が減るわけではない……。

……そして、論争中の科学的問題にしか関心をもたないなら、最後には頭ががらくたでいっぱいになる。

メディアは、科学の最先端だけに報道する価値があると考えている。「一般相対性理論、今も惑星の軌道を支配」「フロギストン説、依然として誤り」といった見出しを、どれくらい目にするだろうか。だから、何かが確かな科学になったころには、もう速報の見出しにはならない。「ニュースになる」科学は、ごく薄い証拠に基づくことが多く、半分は間違っている。科学の最前線のさらに端に位置していなければ、速報にはならないのだ。

科学上の論争とは、その分野を何年もかけて修得した人でさえ自分を欺いてしまうほど難しい問題のことだ。だからこそ、メディアの注目を一身に集める激論になる。

しかも悪いことに、その分野の当事者として関わっていなければ、論争は楽しくさえない。

もちろん、論争のどちらかに肩入れする楽しみは味わえる。だが、それならどんなフットボールの試合でも味わえる。それは科学の楽しさではない。

よく書かれた教科書を読むと、こんなものが得られる。初学者に向けて言葉を吟味した説明、段階を追った数式の導出(必要な場合)、理解を助けるために引用された豊富な実験(必要な場合)、新たに身につけた力を試せる練習問題、そして、学んでいることが実際に正しいという、かなり信頼できる保証だ。

プレスリリースを読むと、たいてい得られるのはこうだ。書き手自身も理解しておらず、おそらく再現に失敗する確率が半分を超える研究結果について、わかったという錯覚以外は何も伝えない、偽物の説明。

現代科学は発見の上に築かれ、その発見は別の発見の上に、さらにその発見も別の発見の上に築かれている。それをたどっていけば、なぜ船は浮くのかといった、ほかの発見を知らなくても理解できる事実を発見したアルキメデスのような人々に行き着く。その道を旅し始めるなら、最初からたどるのがいい。

それに、初歩的な科学の教科書を読むのを恥ずかしがることはない。通ぶりたいのなら、鼻で笑える芝居でも探せばいい。ただ楽しみたいのなら、単純さこそ科学の美しさの核心にあると覚えておこう。

確立された科学を学んでいないのに、いきなり最前線に飛び込めると思うのは、たとえるなら……。

……エベレストの上半分だけを登ろうとして(興味があるのはそこだけだから)、ふもとに立ち、膝を曲げて、思い切り跳び上がるようなものだ(退屈な部分を飛び越すために)。

もちろん、科学上の論争に一切目を向けるなと言っているわけではない。腫瘍専門医の40%が白い靴下はがんの原因になると考え、残りの60%が激しく反対しているなら、それは知っておくべき重要な事実だ。

ただ、科学が面白くあるには論争を伴わなければならない、と思い込まないことだ。

ついでにいえば、新しくなければ面白くない、と思い込むのもやめよう。科学ニュースばかり食べ続けるのは体によくない。食べるものがあなたをつくる。しっかりした教科書を時々読むこともせず、流動的な状況についての科学報道だけを食べていると、脳まで液体になってしまう。