非公式日本語訳 — 原著者・発行元による公式の翻訳ではありません

Eliezer Yudkowsky — 非公式日本語訳

どれだけの証拠が必要なのか

How Much Evidence Does It Take?

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以前、私は証拠を、「知りたい対象と、原因と結果のつながりによって絡み合った出来事」と定義した。そして絡み合っているとは、「対象が取りうる状態が違えば、違う起こり方をする」ことだと定義した。では、信念を裏づけるには、どの程度の絡み合い、つまりどれだけの証拠が必要なのだろうか。

数学的に扱えるほど単純な問いから始めよう。宝くじに当たるには、どれほど強くそれと絡み合う必要があるだろうか。70個の球を、引いたものを戻さずに抽選し、六つの番号が一致すれば当たりだとしよう。当選番号の組み合わせは131,115,985通りあるので、ランダムに選んだくじが当たる確率は1/131,115,985(0.0000007%)になる。宝くじに当たるには、他の131,115,984通りよりも一つの組み合わせをはっきりと有力にできるほど、選別力の高い証拠が必要になる。

当たりの番号と外れの番号を、確率的に見分ける検査がいくつかできるとしよう。たとえば、小さなブラックボックスに番号の組み合わせを入力できる。当たりの組み合わせなら必ず音が鳴るが、外れの組み合わせなら、音が鳴る確率は1/4(25%)しかない。ベイズ的な言葉では、尤度比が4対1だと言う。正しい組み合わせを入力した場合には、間違った組み合わせを入力した場合に比べて、箱の音が鳴る確率が4倍になるということだ。

それでも、ありうる組み合わせは膨大にある。外れの組み合わせを20通り入力すれば、純粋な偶然で、そのうち平均五つでは音が鳴る。ありうる131,115,985通りをすべて入力すれば、一つの当たりの組み合わせで音が鳴るのは確実だが、平均して32,778,996通りの外れの組み合わせでも音が鳴る。

だから、この箱があっても宝くじを当てられるわけではない。それでも、ないよりはましだ。箱を使えば、当たる確率は131,115,985分の1から32,778,997分の1になる。巨大な可能性の空間の中で、目標である真実を見つける方向へ、いくらか前進したのだ。

別のブラックボックスも使って、一つの組み合わせを独立に二回検査できるとしよう。どちらの箱も、当たりくじには必ず音を鳴らす。だが、外れの組み合わせで音が鳴る確率は、各箱で独立に1/4だから、外れの組み合わせで両方の箱が鳴る確率は1/16になる。この二回の独立な検査で得られる累積した証拠の尤度比は、16対1だと言える。両方の検査を通過する外れくじは、平均8,194,749枚になる。

くじは131,115,985通りあるので、必要な証拠の強さも約131,115,985対1だろうと思うかもしれない。つまり、外れの組み合わせに比べて、当たりの組み合わせでは131,115,985倍起こりやすい出来事、または一連の出来事だ。実は、この程度の証拠では、宝くじが当たる可能性を五分五分にするだけで精一杯だ。なぜか。1億3,100万枚の外れくじにその選別力のフィルターをかけると、平均して一枚の外れくじが通過するからだ。当たりくじも通過する。つまりフィルターを通ったくじが二枚残り、そのうち当たりは一枚だけとなる。一枚しか買えないなら、当たる確率は50%だ。

もっとよい捉え方はこうだ。最初には当たりくじが一枚、外れくじが131,115,984枚あるので、当たるオッズは1:131,115,984である。一つの箱を使えば、音が鳴る確率は当たりくじなら1、外れくじなら0.25だ。そこで1:131,115,984に1:0.25を掛けて、1:32,778,996を得る。さらにもう一つ、証拠の箱を加えると、オッズに再び1:0.25を掛けることになる。今度のオッズは、当たりくじ一枚に対して外れくじ8,194,749枚だ。

証拠をビットで測ると便利だ。ただし、ハードディスクのビットではなく、概念の異なる、数学者のビットである。数学者のビットとは、底を1/2とする確率の対数だ。たとえば、ありうる結果がA、B、C、Dの四つで、確率がそれぞれ50%、25%、12.5%、12.5%だとする。私が結果は「D」だったと伝えたなら、あなたに3ビットの情報を伝えたことになる。確率1/8の結果が起きたと知らせたからだ。

131,115,984は、2の27乗より少し小さい。だから14個の箱、つまり28ビットの証拠があれば――そのくじが当たりだという仮説が偽の場合に比べ、真の場合には268,435,456対1の比で起こりやすい出来事があれば――オッズは1:131,115,984から268,435,456:131,115,984へと変わり、約2:1になる。オッズが2対1とは、一回負けるごとに二回勝つ見込みがあるという意味だから、28ビットの証拠を得たときに勝つ確率は2/3になる。もう一つ箱を、つまりさらに2ビットの証拠を加えれば、オッズは8:1になる。さらに二つの箱を加えれば、勝つ見込みは128:1になる。

したがって、宝くじに当たるという強い信念を正当化したいなら――ここでは便宜上、間違っている確率が1%未満のことと定義しよう――当たりの組み合わせについて34ビットの証拠があればよいはずだ。

一般に、「どれだけの証拠が必要か」を量る規則は、これと似た形になる。仮説が位置する可能性の空間が大きいほど、近隣の仮説に比べて事前にその仮説がもっともらしくないほど、あるいは高い確信を求めるほど、多くの証拠が必要だ。

この規則には逆らえない。不十分な証拠に基づいて、正確な信念を形成することはできない。10個の箱を一列に並べ、番号の組み合わせを入力し始めたとしよう。10個すべての箱が鳴った最初の組み合わせで、「でも、外れの組み合わせでこんなことが起こる確率は100万分の1だ! 象牙の塔のベイズ的な規則なんて無視して、ここでやめよう」と言ってやめることはできない。この検査には、当たりくじ一枚につき平均131枚の外れくじが通過する。可能性の空間と、事前の確率の低さを考えれば、証拠が不十分なのに、強すぎる結論へ飛びついたことになる。これは無意味な官僚的規制ではない。数学なのだ。

もちろん、その気になれば、不十分な証拠に基づいて信じることはできる。だが、正確に信じることはできない。それは、どこかへ行くには燃料が必要だなどという、ばかばかしくて古臭い考えは信じないと言って、燃料のない車を運転しようとするようなものだ。車には燃料が必要だという法則を廃止すると決めるだけで済めば、はるかに楽しく、はるかに安上がりなのに。誰にとっても、そのほうが明らかによいではないか。その気になれば、試してみることはできる。目を閉じて、車が動いているふりをすることだってできる。だが、正確な信念へ本当にたどり着くには、証拠という燃料が必要だ。遠くまで行きたいほど、多くの燃料が要る。