非公式日本語訳 — 原著者・発行元による公式の翻訳ではありません

Eliezer Yudkowsky — 非公式日本語訳

宝くじ――希望の無駄遣い

Lotteries: A Waste of Hope

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宝くじに対する昔からの批判は、買う人ほどお金を失う余裕がないというものだ。宝くじはお金の吸い込み口となり、お金を最も必要とする人から富を奪っていく。宝くじの擁護者の中には、そしてOvercoming Biasのコメント投稿者の中にさえ、宝くじを買うのは空想を合理的に購入する行為だとして擁護しようとする人がいる。1ドル払えば、自分が百万長者になった姿を思い描き、一日分の楽しい期待感を味わえるというわけだ。

だが、それが正確には何を意味するのか考えてほしい。それは、実現する確率がほとんどゼロの空想に、貴重な頭脳を使っているということだ。そのかすかな可能性を現実にするために、あなた自身ができることは何もない。あなたの未来を決めるのは抽選のボールだ。そこで夢見ているのは、努力なしに手に入る富である。誠実に取り組むことも、学ぶことも、人を引きつける魅力も、忍耐すら必要ない。

そのため宝くじは、別のものの吸い込み口にもなる。感情的なエネルギーの吸い込み口だ。よりよい未来への夢や希望を、極小の確率に注ぎ込むよう人々を促してしまう。宝くじがなければ、その人たちは技術学校に通うことや、自分の事業を始めること、職場で昇進することを夢見たかもしれない。実際に行動に移せるかもしれないこと、もっと強くなりたいと思わせる希望だ。夢を見る頭脳は、その楽しい空想を20回目に思い描いたとき、それを本当に実現する方法に気づくかもしれない。夢や頭脳とは、そのためにあるのではないか。だが、現実の制約を受けるそんな夢が、一瞬にして富を得られるという人工的に甘く味つけされた見込みと、どうやって競えるというのか。ネット新興企業を率い、株式公開までこぎつけた末にではない。火曜日に大金が手に入るのだ。

本当に、どうして宝くじを買うのは愚かなことだと素直に言えないのだろう。人間は、ときには愚かなのだ。そんなに驚くような仮説ではないはずだ。

当然ながら、人間の脳は64ビット浮動小数点演算をしているわけではない。楽しい期待感がもつ感情への影響を0.00000001倍にまで小さくしようとすると、その思考の筋道そのものを完全に手放してしまう。当然ながら、多くの人は、期待効用を数値で計算した結果を、不正確な金銭感覚に優先させる、あるいはそれと置き換えるべきだとは気づかない。代わりに、計算結果を、楽しい期待感と天秤にかける一つの論拠にすぎないものとして扱う。しかも、感情に訴える力の弱い論拠だ。そこにあるのは、莫大な富のまぶしい光景ではなく、紙の上のただの記号なのだから。

宝くじの人気は、これで十分説明できるように思える。なぜこれほど多くの論者が、この典型的な自己破壊を擁護せずにはいられないのだろう。

バイアスを克服するには、(1)まずそのバイアスに気づき、(2)詳しく分析し、(3)それが悪いものだと判断し、(4)回避策を考え、(5)それを実行する必要がある。残念なことに、段階1と2を通過しても、3で立ち往生する人が実に多い。本来なら、五つの中でいちばん簡単な段階のはずなのに。バイアスは酸っぱいレモンであって、レモネードではない。それをレモネードにしようなどと考えるべきではない。そのレモンを丸ごと焼き尽くしてしまえ。