ニュースレター
AGI後に資本を支配する
原題:Controlling the capital after AGI
Gradient Updates は著者個人の見解を述べるニュースレターで、Epoch AI 全体の見解とは限りません。
はじめに
AGI1は莫大な経済生産を生み出すかもしれないが、その過程で多くの人の仕事を奪い、まともな生計を立てる手段を失わせる可能性がある。そうなれば、「AGIへの移行期」に貯蓄の少なかった人々は、移行後の世界で自活できなくなる。そこまで劇的でなくても、AGI後に高給の仕事が数多く残るとしても、資本分配率2が大きく上昇するかもしれない。そうなれば格差は大きく拡大する傾向にある。
そうなった場合、その利益はどのように再分配されうるだろうか。より具体的には、AGI後に国家がどのように税収を得るのか、GDPの何パーセントを徴収するのかという問題はひとまず脇に置くとして、この税収を再分配する既存の提案は互いにどう違うのだろうか。
全員を対象とする給付の提案は数多くある。たとえば次のようなものである。
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ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI):政府が全員に現金を支払う。最もよく知られた提案で、Elon Musk、Vinod Khosla、Geoffrey Hinton をはじめ、多くの人が支持している。3その一環として、今日、社会保障給付を担保に借金することが違法であるのと同じように、政府は人々が将来の給付を担保に借り入れできる範囲を制限するかもしれない。人々が将来の自分を困窮させないようにするためである。
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ユニバーサル・ベーシックサービス(UBS):政府が全員に無料の公共サービスを利用できるようにする。ノルウェーやスウェーデンのような福祉国家を思い浮かべてほしい。ただし、北欧諸国が現在は提供していない食料や住居なども含め、政府がすべての基本的な必要をまかなう点が異なる。
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ユニバーサル・ベーシックキャピタル(UBC):政府が人々に自分自身の資本資産(インデックスファンドの持分や、特にAI企業の株式など)を与え、人々がその配当で暮らせるようにする。人々が資産を売却できる範囲に制限を設けることもある。
そしてもちろん、それぞれの提案にはさまざまな変種がある。
長く、しかも増え続ける提案の一覧を細部まで比べるのは骨が折れる。しかし、これらの提案には、再分配をめぐるより身近な議論と似ている点がある。どれも、政府がある財をどこまで直接提供し、どこまで人々に現金を渡して好きなものを買わせるか、という問題なのである。
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主な軸:資本の支配
貧しい人々に現金を渡すべきかフードスタンプを渡すべきか、フードスタンプなら、ジャンクフードを対象外にすべきか、という問いにはなじみがある。AGI後に幅広い層を対象とする再分配をどう実施するかをめぐる議論では、移転を必需品の特定の許可リストに限るべきだという考えはめったに聞かれない。例外は(あまり多くない)「ユニバーサル・ベーシックサービス」の提案である。そうではなく、議論の中心は、再分配の仕組みが市民に資本所得だけでなく資本そのものの支配をどこまで与えるべきか、という点にある。
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この範囲の一方の端にあるUBIは、所得を生む資本の支配を、ごく限られた形でしか市民に与えない。市民は政策立案者に投票する権利を保持し、政策立案者はその管轄内で事業を行う企業に課税し規制する権利を保持する。
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SWFは、もう一段階多くの支配を与える。市民による資本の支配は依然として国家を介するが、国家は立法だけでなく株主としても企業を統治できる。また、企業がどこで事業を行っても、どこへ移転しても、その統治を行使し、企業の配当を受け取ることができる。
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UBCはさらに多くの支配を与える。市民は国家を介さずに、株主として議決権を行使し、企業がどこへ移転しても配当を受け取ることができる。
「支配」は一つの次元だけでできているわけではない。たとえば、大株主としての統治の権利を積極的に行使する、民主的に運営されたSWFのほうが、分散型のUBCの仕組みよりも、企業が資産をどう使うかについて市民により多くの支配を与えている面もあるかもしれない。さらに、UBCの仕組みは、コーポレート・ガバナンスが異なりうるのと同じだけ多様でありうる。最も単純には、企業の株式は議決権付きにも無議決権にもできる。より一般的には、たとえば少数株主が会社の方針の一定の変更に拒否権を持つような、新しい所有構造を幅広く思い描くのは難しくない。いずれにせよ、どのSWFやUBCも、UBIより多くの支配を与えることは間違いない。
原理的には、UBCが与えるよりもはるかに直接的で確実な資本の支配を人々に与えることも可能だろう。極端な例として、次のようなものを考えてみよう。
- UBC+キルスイッチ:価値ある設備や構造物の一定の蓄えを、法的に各市民に移転するだけでなく、所有者がすばやく指示を出したり、停止させたり、さらには破壊したりできる装置を取り付ける。
「キルスイッチ」の提案は漫画じみて聞こえるかもしれないし、やり方を誤れば、重要なインフラに破壊の仕組みを組み込むことにはもちろん莫大なリスクがある。しかし、「資本に対する実体的な支配」という原則を極限まで推し進めて示すことは役に立つと考えている。
誰が資本を支配するかをなぜ気にするのか?
よく聞かれる懸念は、UBIの提案では市民に与えられる「生産手段の支配」が少なすぎて、長期的に安定しないというものである。この議論によれば、UBIは脆い均衡に頼っている。市民の労働が相対的に無価値になった後も、国家が市民を支え続け、企業も国家に従い続けるという均衡である。
この議論を詳しく述べるとこうなる。産業革命の後、民主主義と福祉国家が栄えた。その一因は、技術的な条件によって労働者とエリートの利害がより一致するようになり、働く人々に技能と労働条件を与えることに価値が生まれたことにあるのかもしれない。そしてその技能と労働条件は、人々が組織化する助けにもなった。たとえば、都市化と識字の普及によって、政治的な代表権を与えられなければ大きな集団がストライキを起こすことが容易になった。こうした条件が消えれば、広く行き渡った経済的な力を固定しておく強力な予防策がないかぎり、民主主義もやがて消えるかもしれない。たとえば、ロボットがすべての仕事をするようになれば、「UBC+キルスイッチ」によって、人々はストライキで労働を「止める」のと同じように、資本の一部を止めることができる。しかし、いずれにせよ、生産に対する支配を維持するための技術的な手段が必要になり、それは自然に手に入るものでも、ただで手に入るものでもない。
この見方は宿命論的すぎるかもしれない。現在、先進国のほぼすべてが、労働があまり価値あるものとみなされていない多くの集団、たとえば困窮者、障害者、そして特に高齢者に、多額の移転を続けている。生産性のない人々への移転が無期限に続くような政治的・社会的な均衡を排除する自然法則はない。今日、ある裕福な市民が脱税すれば、残りの人々は事実上団結して彼に対抗する。彼らが払う税金が、彼に支払いを強制する法制度を支えているからである。残りの人々がこの裏切りを罰する、つまり自分の税金を払うのは、誰であれ裏切れば同じように罰せられるからである。
とはいえ、裕福な人々の間で慎重に組み立てられたゲームの均衡に任せるのではなく、長期的に経済的な力を持ち続けられるもっと強い保証がほしい、と考える理由はすぐに分かる。同じ理屈でいけば、政策がまったくなくても、ただ運よく次のような状態があれば、移転は無期限に保証されうることになる……
- ……慈善の均衡:ロボットの所有者たちは互いの協力が続くことを重んじており、その協力が続く条件の一つが、たまたま各当事者が残りの人々に毎年移転を行うことになっている。
しかし、このゲームの均衡は、「プレイの履歴」への何らかの衝撃や、裕福なプレイヤーの間での何らかの再交渉によって崩れうる。私たちの知るかぎり、これに頼ることを提案している人はいない。

人々に自分で資本を買わせるのではなく、なぜ国家が資本の支配を与えるのか?
何らかの形での「資本の支配」のほうが、UBIが約束する移転の流れよりも経済的な安定をもたらすと結論づけたとしても、だからといって国家が私たちに代わってこの安定を買うべきだということにはならない。食料は経済的な安定に劣らず価値があるが、だからといって国家は、現金を移転して何を買うかを人々に決めさせるのではなくフードスタンプを配るべきだ、とは言い切れない。人々は、UBIを使って債券を買うことも、企業の無議決権株式を買うことも、少しだけ高い議決権付き株式を買うことも、家族経営の農場のような、より実体的な支配を持てる生産単位を買うことも自由にできるだろう。次のUBIの小切手を信頼して、資本をまったく買わないことも自由である。
人々が自由に好きなように使えるようにすることの利点は、言うまでもないだろう。それに対して、いつものように、現物移転(この場合は資本の支配の移転)が現金移転より望ましいとされうる主な理由が3つある。
- 行動バイアス。多くの人がUBIのうち貯蓄に回す分が少なすぎたり、貯蓄したものをうまく投資できなかったりするのではないかと懸念されるかもしれない。その原因は、今日の人々が、自分の労働で自活でき、国家が市民の福祉を無期限に増進してくれると信頼できる世界に慣れすぎていることにあるのかもしれない。
- 外部性。資本が主導する経済では、資本の支配が集中していることが社会に負の外部性をもたらすと考える人もいるだろう。自己複製する自律型ドローンのある世界では、最も裕福な人々が資源を容易に動員して、不当な政治的・経済的影響力を行使するリスクがある。言い換えれば、資本の所有をより広く行き渡らせることの外部性は正だと考えることもできる。ちょうど米国の建国者たちが、銃の所有が広く行き渡れば、所有者だけでなくその隣人も国家による抑圧から守られると論じたように。
- 規模の経済。国家が公共交通機関や警察による保護などのサービスを提供するのは、個人が個別に確保するより、国家がまとめて提供するほうが安上がりだからである。資本の支配についても、ある面では同じことが言えるかもしれない。
- 投資における規模に対する収穫逓増が十分に強い世界では(たとえば、大口投資家しか未上場企業に投資できないなどの理由で)、少なくとも比較的小規模な資本所有者にとっては、資産運用は自然独占になりうる。その場合、SWFは市民が共同の基金を管理する効率的な方法になるかもしれない。理想的には、SWFは、間接的な株主である市民が、集団の利益のためにコーポレート・ガバナンスの権利を行使するという協調問題を安上がりに解決する方法にもなるだろう。
- 国家は、何百万人もの小口株主が資本ストックにこのような踏み込んだ前例のない改変を求めるよりも、安く、少なくとも速く、何らかの「キルスイッチ」のような制度を実施できるかもしれない。
AGIを中心とする経済への移行が始まったときに、これらの考慮事項をどう比較衡量するかは、私たち全員にかかっている。
結論
AGI後の再分配をどう設計するかをめぐる議論では、必ずしも明示されるわけではないが、主な争点は、私たちの共同の所得の大部分を生み出すようになりうる資本について、人々にどれだけの支配を、どのような種類の支配を与えるかである。政府系ファンドは、市民に、あるいは少なくとも国家に、UBIの仕組みより多くの支配を与える。UBCの提案は、ある面ではさらに多くを与える。したがって、どの提案が最善かという議論は、現金移転か現物移転かをめぐる、より身近な数多くの議論とほぼ同じ構図である。
この類比をはっきりさせておけば、よく知られた選択肢をどう評価するかが明確になるだけでなく、見落としていたかもしれない選択肢も見えてくると期待している。経済的に価値のある労働があまりない世界の政治経済を特に懸念するなら、キルスイッチを検討したくなるかもしれない。特に懸念しないなら、慈善の規範に頼ることで満足するかもしれない。技術が進歩するにつれ、機械の支配を分配するための技術的に可能な選択肢も広がっていく。少なくとも政治的・社会的に可能な選択肢の範囲が狭まり始めるまでは、これを活用できることを忘れないようにしたい。
フィードバックと支援をくれた Andrei Potlogea、Jaime Sevilla、JS Denain、Lynette Bye、Dan Carey、Robert Sandler、Bharat Chandar、Gabe Unger に感謝する。
注
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完全なロボット工学を含む。 ↩
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つまり、私たちの共同の総所得のうち、賃金ではなく投資の利子という形で得られる割合である。 ↩
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ここではGDPに対して一定の割合のUBIを考えている点に注意。GDPが爆発的に増えるなら、この提案は「ユニバーサル・ハイインカム」と呼ぶほうがふさわしいかもしれない。 ↩
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アラスカのものなど、現在この方式で運営されているSWFもある。ノルウェーのものなど、公共サービスの提供に使われ、UBSに近いものを実施しているSWFもある。 ↩