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次の二つの選択肢から選んでほしい。
1A. 確実に2万4000ドル。
1B. 33/34の確率で2万7000ドルを得て、1/34の確率で何も得ない。
どちらが直感的に魅力的に見える? 現実なら、どちらを選ぶ? では次の二つの選択肢では、直感的にどちらを好み、現実ならどちらを選ぶだろう?
2A. 34%の確率で2万4000ドルを得て、66%の確率で何も得ない。
2B. 33%の確率で2万7000ドルを得て、67%の確率で何も得ない。
アレのパラドックス――本当はパラドックスではないが、アレ本人はそう呼んだ――は、意思決定理論と人間の推論の間の対立として、1953年に初めて実験で明かされたものの一つである。1 数学を簡単にするため、私は少し変更したが、本質的な問題は同じである。たいていの人は1Bより1Aを好み、たいていの人は2Aより2Bを好む。実際、被験者内比較では、被験者の過半数が二つの選好を同時に表明する。
これが問題なのは、2の選択肢が、3分の1の確率で1の選択肢を行うことに等しいからである。つまり、2Aは34%の確率で賭け1Aを行うことに等しく、2Bは34%の確率で1Bを行うことに等しい。
「首尾一貫した」意思決定者を期待効用の最大化として見られることを証明するため使われる公理には、独立性公理がある。XがYより厳密に好まれるなら、確率PのXと確率(1 − P)のZは、確率PのYと確率(1 − P)のZより厳密に好まれるべきである。
すべての公理は、首尾一貫した効用関数の前提であるだけでなく帰結でもある。したがって、上の実験被験者が結果に対して首尾一貫した効用関数を持つことはできないと証明できるはずだ。そして実際、次の二つを同時に満たすことはできない。
U ($24,000) > (33/34) × U ($27,000) + (1/34) × U ($0)
0.34 × U ($24,000) + 0.66 × U ($0) < 0.33 × U ($27,000) + 0.67 × U ($0) .
この二つの式は、Uが何であっても代数的に矛盾する。したがってアレのパラドックスは、貨幣の限界効用逓減とは何の関係もない。
モーリス・アレは当初、実験被験者が示した選好を擁護した――実験が人間心理の欠陥ではなく、従来の効用概念の欠陥を明かしたと考えた。何しろこれは1953年で、ヒューリスティクスとバイアスの運動が本格的に始まるのは、さらに20年後だった。アレは、自分の実験が、独立性公理は現実では明らかに良い考えでないと示しただけだと考えた。
(ベイズ意思決定理論は何と素朴で、愚かで、単純すぎるのだろう……)
2万4000ドルを得られるという確実性は、確かに何かとして数えるべきだ。その違いを感じるだろう? 確固たる安心感を?
(私はこれを「素朴な哲学的実在論」と考え始めている――「1Aは1Bより優れている」が直接知覚された事実であるかのように、どの戦略が賢明かについての真理を、私たちの直感が直接明かすと仮定することである。直感は、人間の認知機能についての真理を直接明かし、合理性についての真理は(認知機能そのものを省察した後で)間接的にしか明かさない。)
「でも、ちょっと待って」とあなたは言う。「ベイズ的な美から離れるのは、本当にそれほどひどいことか?」分かった。被験者はフォン・ノイマンやモルゲンシュテルンのような人々が支持する、整然とした小さな「独立性公理」には従わなかった。それでも、物事は整然と片づいていなければならないと誰が言う?
望まないリスクを負わせるのなら、なぜ優美さを気にする? 期待効用によれば、ある結果へ何らかの数を割り当て、その値を結果の確率で掛け、足し合わせる、等々をすべきだという。分かった。だが、なぜそうしなければならないのか? 代わりに、もっと受け入れやすい規則を作ってはいけないのか?
ベイズの道を離れるときには、必ず代価がある。整合性定理と一意性定理は、そのためにある。
この場合、エージェントが1Bより1Aを、2Aより2Bを好むなら、ある種の選好逆転――エージェントの計画における動的不整合――が生じる。あなたはマネーポンプになる。
正午12時に、私が100面ダイスを振るとしよう。34より大きい数が出たら、ゲームは終了する。そうでなければ午後12時5分に、AとBの二つの設定を持つスイッチを見る。設定がAなら2万4000ドルを支払う。設定がBなら34面ダイスを振り、「34」が出ないかぎり2万7000ドルを支払い、「34」が出た場合は何も支払わない。
あなたは1Bより1Aを、2Aより2Bを好み、各選好を満たすため1セント払うとしよう。スイッチは状態Aから始まる。正午12時より前、スイッチをBへ切り替えるため、私へ1セント払う。ダイスは12を出す。正午12時より後、午後12時5分より前に、スイッチをAへ切り替えるため、私へ1セント払う。
私はこの件で、あなたの2セントを取った。直感を満たし、単なる優美さを、整然さへの無意味な執着として退けるなら、手元から小銭を取られても驚いてはいけない……
(小さな確率の感情的影響を比例的に減価できないという同じ失敗が、宝くじの原因だと私は思う。)
Maurice Allais, “Le Comportement de l’Homme Rationnel devant le Risque: Critique des Postulats et Axiomes de l’Ecole Americaine,” Econometrica 21, no. 4 (1953): 2, doi:10.2307/1907921; Daniel Kahneman and Amos Tversky, “Prospect Theory: An Analysis of Decision Under Risk,” Econometrica 47 (1979): 263–292. ↩︎