❦
宝くじは今なお希望の浪費ではなく、空想を購入できるようにするサービスだという意見がある――「映画でハリウッドスターの夢を見るより、はるかに安い金で大富豪になる白昼夢」を買えるというのだ。あるコメント投稿者はこう書いた。「裕福になれる可能性がゼロであることと、イプシロンだけあることとの間には大きな違いがあります。券を買えば、富を得る夢はその隔たりを越えられるのです」。
実のところ、私が述べようとしていた点の一つは、裕福になれる可能性がゼロであることとイプシロンであることとの差は、イプシロンのオーダーだということである。疑うなら、イプシロンをグーゴルプレックス分の一としてみればよい。
ともかく、宝くじがイプシロンの希望を売っていると仮定するなら、そこから「新・改良版宝くじ」の設計が導かれる。新・改良版宝くじは、平均五年に一度、ランダムな時刻に賞金を払い出す――たとえば、それほど放射性の強くない元素の崩壊によって時刻を決める。一度、一ドルだけ払って参加すれば、金持ちになれるイプシロンの可能性をほんの数日ではなく、数年にわたって得られる。それだけではない。いつ富が舞い込んでもおかしくないのだ! どの一分にも電話が鳴り、あなたが、そう、あなたが大富豪になったと告げられるかもしれない!
週に数回、決まった時刻にしか抽選しない普通の宝くじより、どれほど優れているか考えてみよう。上司がやって来て、企画書を作り直せとか、在庫を補充しろとか、それと同じくらい面倒な何かを要求したとする。仕事に取りかかる代わりに、電話へ顔を向け、その着信を願ってじっと見つめていられる――なぜなら、まさにその瞬間、あなたが、そう、あなたが大賞を授けられる可能性がイプシロンだけあるからだ! そして今の一分に起きなくても、がっかりする必要はない――次の一分に起きるかもしれないのだから!
この新・改良版宝くじなら、どれほど多くの空想ができるか考えてみよう。店で買い物をしながら、高価な品々をカートへ入れることもできる。宝くじ当選を知らせる携帯電話が鳴らなければ、あとで商品を棚へ戻せばよいのだろう?
新・改良版宝くじは、当選が発生する尤度と特定の数字が選ばれる尤度について、絶えず変動する確率分布を表示することさえできるかもしれない。全体としては、先ほど述べたポアソン分布に従うようにする。どれほど楽しいか考えてみよう! おやまあ、たった今は当選が起きる確率が平常時のほぼ十倍になっている! しかも見てくれ、メガボールに私が選んだ42という数字が当たる確率は、普段の二倍近い! これを人々の携帯電話の画面に送り、ぱっと携帯を開くだけで当選確率を確認できるようにするのだ。どれほど興奮するだろう! 家計簿の収支を合わせようとするより、ずっと刺激的だ! 宿題をするより、ずっと刺激的だ! この新しい夢はあまりにもおいしいので、専門学校へ行く希望だけでなく、仕事から早く帰る希望とさえ競えるだろう。人々は一日中ずっと画面に釘づけになっていられる。そうとも、ほかには何一つ夢見る必要がなくなるのだ!
まったく、実際には起こらない魅力的な白昼夢を人々に提供することは、じつに価値あるサービスである。人々は喜んで金を払うのだから、価値があるに違いない。もう一つの可能性は、消費者が間違いを犯していることだが、そんなことが起こりえないのは誰もが知っている。
ところが、宝くじを邪悪にも独占している現在の政府は、この単純明快なサービスを提供していない。なぜか? 人々に法外な料金を払わせたいからだ。毎週金を使わせたいのだ。当選確率が百倍だと信じるスリルのために百ドルを使わせたいのであって、携帯電話の画面を見つめて尤度の急上昇を待てるようにはしたくない。したがって、宝くじがサービスだと信じるなら、それは明らかに途方もなく割高なサービスであり、しかも社会の最も貧しい人々から料金を取っていることになる。ゆえに市民としての厳粛な義務は、代わりに「新・改良版宝くじ」を要求することである。