非公式日本語訳 — 原著者・発行元による公式の翻訳ではありません

Eliezer Yudkowsky — 非公式日本語訳

知ることを損なう悪徳

Epistemic Viciousness

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これを教えてくれた人には大いに感謝すべきなのだが、誰だったか思い出せない。ジリアン・ラッセルによる12ページのエッセイ「武術における認識上の悪徳」1を紹介してくれたメールも、Overcoming Biasのコメントも、手元の記録には見当たらない。アンナ・サラモンだっただろうか?

私たちはみんな、ネクタイを締め、実用的な靴を履いて並び(ここはイングランドだった)、先生をまねて、左、右、左、右と突いた。その後、先生はこう教えてくれた。十分に熱心に空突きを3年間練習すれば、一撃で雄牛を殺せるようになる、と。

私はハワード先生を崇拝していた(もっとも、そのことを本人に話すくらいなら死んだほうがましだったが)。だから、痩せっぽちの11歳の少女だった私は、練習すれば14歳になるころには、一撃で雄牛を殺せるようになると信じるようになった。

このエッセイは、武術における認識上の悪徳を扱う。今の話は、まさにその実例だ。「viciousness」という言葉は普通、故意の残酷さや暴力を連想させるが、ここではもっと古い意味、つまり悪徳を備えていること、という意味で使う。

この話はどれも、驚くほどほかの分野に当てはまる。認識上の悪徳がどう生じるかについて、重要な観察をいくつかまとめよう。

このエッセイに書かれていたと記憶していたが、読み返すと実際にはなかったことが一つある。本物の闘いが減った後に武術が衰退した、という話だ。本物の闘いとは、互いに本気で傷つけようとし、ときには死者も出る闘いのことだ。

当時は、誰が本物の達人なのか、どの流派がほかの流派を打ち負かせるのか、ある程度はわかった。

それがすっかり文明的になった。そして衰退は進み、いまや黒帯何段と称する人が、実戦経験のある人に地面へ叩きのめされる動画がYouTubeに載っている。

この種の話で、本当に悲しい事例を一つ聞いた。ある流派の師範が、自分は気の技を使えると確信していたのだ。彼が気で攻撃すると、弟子たちは実際に倒れた。奇妙で、驚くべき、恐ろしい自己催眠か、あるいは何かの事例だ……そして師範は懐疑的な相手と対戦し、もちろん、徹底的に床へ叩きのめされた。

「負けない方法」は「勝つ方法」より広く役立つ情報だ、とはよく言ったものだ。ここに挙げた危険要因は一つ残らず、「合理性の道場」を始めようとするあらゆる試みに、そのまま当てはまる。そこで、あなたに問いたい。これにどう対処できるだろうか?

Gillian Russell, “Epistemic Viciousness in the Martial Arts,” in Martial Arts and Philosophy: Beating and Nothingness, ed. Graham Priest and Damon A. Young (Open Court, 2010). ↩︎