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アルバート:「木が倒れるのを聞いたときは、いつも音がした。だから、ほかの木が倒れるときも音がすると思う。自分が見ていない間に世界が変わるとは思わない」
バリー:「ちょっと待って。誰も聞いていないなら、どうして音だと言えるの?」
誰もいない森で木が倒れたら音がするかどうかについて、アルバートとバリーが言い争う会話を書いていると、登場人物の気持ちがわからなくなることがあった。こんな議論が起きるのを何度も見ているのに、なぜそもそも誰であれそんな言い争いをするのか、実感できなくなるのだ。
そんなときは、「倒れた木は音を立てるか、立てないかのどちらかだ!」と自分に言い聞かせ、借り物の憤りを取り戻した。
Pに任意の英語の文を代入するなら、(P or ¬P)は、必ずしも信頼できるヒューリスティックではない。「この文は偽である」を、一貫して真または偽とみなすことはできない。それに、「妻を殴るのはもうやめたか?」という古典的な例もある。
もちろん、あなたが数学者で、直観主義論理ではなく古典論理を支持しているなら、(P or ¬P)は定理だと主張し続ける方法はある。たとえば、「この文は偽である」は文ではない、と言えばよい。
だが、そうした解決には細やかな扱いが要る。そのこと自体が、細やかに考える必要性を示している。どんな場合にも「そうであるか、そうでないかのどちらかだ!」と強引に突き進めばよいわけではない。
では、倒れる木は音を立てるのか、立てないのか、それとも……?
2 + 2 = Xか、そうでないかのどちらかに決まっているだろう? まあ、同じX、同じ2、同じ+と=であるなら、そうかもしれない。Xを評価した値が、あるときには5で、別のときには4になるなら、あなたの憤りは見当違いかもしれない。
(P or ¬P)が必然的に真であるはずだと主張し始めるためにさえ、記号Pは、二者択一の両側でまったく同じものを表していなければならない。「倒れると音がするか、しないかのどちらかだ!」——だが、アルバート::音とバリー::音が同じでないなら、その木がアルバート::音を立て、バリー::音は立てないとしても、何の逆説もない。
(::という書き方は、C++を使っていたころに覚えた、名前空間の衝突を避ける方法だ。異なる二つのパッケージがともにSoundというクラスを定義しているとき、Package1::Soundと書けば、どちらのSoundを指すかを指定できる。この書き方は、あまり広く知られていないと思う。残念なことだ。文章でも使えたら、とよく思うからだ。)
変化は微妙なところに潜んでいるかもしれない。アルバートとバリーは、まったく同じ出来事について本当に実質的な意見の相違があるのだと確かめるため、同じ森の同じ木で、倒れた機会も同じだと、念入りに確認するかもしれない。そして、その出来事をまったく同じ概念に照らしているかどうかを、確認し忘れる。
あなたがもっともよく行く食料品店を思い浮かべてほしい。通りの左側にあるだろうか、右側だろうか。だがもちろん、通りにただ一つの決まった左側などない。ある方向から通りを進むあなたにとっての左側があるだけだ。私たちが使う言葉の多くは、実際には、文脈が与える暗黙の変数を引数とする関数なのである。
言語を解析する人工知能プログラムで、この種の問題を扱うのは、実に厄介で、途方もない作業を要する。この現象は「話者の直示」と呼ばれる。
「マーティンはボブに、建物は彼の左にあると言った」。だが「左」は、周囲の文脈から見えないところで取り込んだ、話者に依存する変数を使って値を求める、関数のような言葉だ。誰の「左」なのだろう。ボブのか、マーティンのか。
問いが変わることによる誤謬では、変数にきちんと名前がついているとは限らない。「ねえ、Z + 2は6に等しいと思う?」というほど単純ではないのだ。
名前空間の衝突によって、同じ名前なので「同じ概念」に見える二つの異なる概念が持ち込まれたり、地図の圧縮によって、心の中で別々のファイルになっていないため同じ出来事に見える二つの異なる出来事が持ち込まれたり、同じ関数が異なる文脈で評価されたりすると、現実そのものが変幻自在で移ろいやすくなる。少なくとも、アルゴリズムを内側から感じると、そうなる。心の目が見ているのは地図であり、土地を直接見ているわけではない。
隠れた変数を含み、文脈が変わると異なる式になる問いがあると、現実そのものが不安定であるように感じる。心の目に見えるものが、目を向ける先によって変わってしまうのだ。
これは、複数の解釈ができる文を発見した学部生(やポストモダンの教授たち)を、よく混乱させる。彼らは、現実の不安定な部分を発見したと思うのだ。
「なんてことだ! 『太陽は地球の周りを回る』は、狩猟採集民のハンガにとっては真だが、天文学者のアマラにとっては偽だ! 確定した真理なんてない!」。この生半可な愚論の脱構築は、読者への練習問題にしておこう。
それなのに、私でさえ初めは、「Xがあるときには5で、別のときには4なら、『2 + 2 = X』という文には、一定の真理値がないかもしれない」と書いていた。真理値が変動する一つの文があるのではない。「2 + 2 = X」には真理値がないのだ。それはまだ命題ではない。少なくとも、数学者が命題と定義するものではない。「2 + 2 =」が命題でないのと同じであり、「Fred jumped over the(フレッドは、その……を跳び越えた)」が文法的な文でないのと同じだ。
だが、この誤謬は、わかっているはずのときでさえ忍び込みがちだ。まあ、アルゴリズムを内側から感じると、そうなるのだから。