非公式日本語訳 — 原著者・発行元による公式の翻訳ではありません

Eliezer Yudkowsky — 非公式日本語訳

進化の驚異

The Wonder of Evolution

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進化の驚異は、それがそもそも機能することにある。

これは文字どおりの意味だ。進化に驚嘆したいのなら、驚嘆に値するのはそこなのだ。

最適化は、宇宙で最初にどうやって生じるのか? 知的な主体が自然を設計したというのなら、その知的な主体は誰が設計したのか? 設計者を持たない最初の設計は、どこにあるのか? 謎は、この自力で立ち上がる過程の最初の段階が、どうすれば超賢く、超効率的でありうるか、ではない。どうすればそもそも起こりうるかが、謎なのだ。

進化が無限後退を解消するのは、超賢く、超効率的だからではない。愚かで非効率なのに、それでも機能するからだ。これが驚異なのである。

仕事柄、私は進化の遅さ、ランダムさ、盲目性について論じなければならないことが多い。すると後で、誰かがこう言う。「あなたは今、進化は同時に起こる変化を計画できないとか、突然変異はランダムなので進化はとても非効率だとか言いましたね。それって、創造論者の言うことではありませんか? 部品を箱に入れてでたらめに振っても、時計は組み上がらない、と」。

しかし、創造論者への反論は、部品を箱に入れて振れば時計を組み立てられるのだ、というものではない。進化はそんなふうには働かない、というのが反論だ。進化とは、つむじ風が747型機を組み立てるようなものなのだと思っているなら、創造論者はあなたに、生物学の誤った姿をうまく信じ込ませたことになる。藁人形を売りつけるのに成功したのだ。

本当の答えは、複雑な仕組みは少しずつ進化するか、以前からあった複雑な仕組みを新しい目的に転用することで進化する、というものだ。リスは筋肉だけを使って木の上から別の木の上へ跳ぶが、その距離は、ある程度まで体の空気力学的な性質によって決まる。そこで今では、短い距離なら滑空できるほど空気力学的に優れたモモンガがいる。鳥類が絶滅したら、モモンガの子孫は1,000万年後、その生態的地位を再び占めるかもしれない。滑空する膜は、翼に変わっているだろう。そして創造論者は言うだろう。「半分の翼に何の役がある? 落ちてぐしゃっと潰れるだけだ。リス鳥が少しずつ進化したなんて、どうしてありうるのか?」

こうして、一つの複雑な適応が、新しい複雑な適応を始動させることがある。複雑さは、一つの突然変異から出発して、少しずつ積み重なることもできる。

まず遺伝子Aが現れる。単純だが、それだけでも少なくとも少しは役立つので、Aは遺伝子プールの全体に行き渡るまで増える。次に遺伝子Bが現れる。Aがあるときにしか役立たないが、Aは遺伝子プールに確実に存在するため、Bを有利にする安定した選択圧がある。次に、改変されたA∗が現れる。これはBに依存するが、BがA/A∗に依存する関係は壊さない。続いて、A∗とBに依存するC、そしてA∗とCに依存するB∗が現れる。ほどなく、どの部品を一つ抜いても壊れる「還元不能に複雑な」仕組みができあがる。

それでも、その一つの部品に至る道を逆向きに思い描くことはできる。仕組み全体を壊さずに、ある部品が別の部品に依存する度合いを小さくする。それを何度か繰り返せば、仕組みを壊さずに、一つの部品を丸ごと取り外せるようになる。その先も同じことを繰り返し、時を刻む時計を、粗末な日時計にまで戻せるのだ。

例を挙げよう。DNAは、正確な複製ができる丈夫な形式で、情報をとてもうまく保存する。リボソームはその保存情報を、アミノ酸の列であるタンパク質に変換する。タンパク質は折りたたまれ、さまざまな化学的活性を持つ形になる。DNAとリボソームを組み合わせた系は、あらゆる種類のタンパク質の機械を作れる。だが、DNAの情報をタンパク質に変えるリボソームがなければ、DNAに何の役がある? どのタンパク質を作るべきかを指示するDNAがなければ、リボソームに何の役がある?

生物は必ず化石を残すわけではなく、進化生物学も、段階的な経路をいつでも解明できるわけではない。だが、この場合は、どう起こったかがわかっている。RNAには、DNAと共通して、情報を運び、自己複製できる性質がある。ただし、RNAはそれほど丈夫ではなく、複製の正確さも劣る。また、RNAには、折りたたまれて化学的活性を持つ形になるという、タンパク質と共通の能力もある。ただし、タンパク質のアミノ酸鎖ほど多様な働きはできない。ほぼ確実に、RNAが、互いに依存するA∗とBより前にあった、単独のAなのである。

RNAがDNAとタンパク質の仕事を合わせてこなせるというだけでなく、それを下手にこなすことにも、同じくらい注意を向けることが重要だ。一つの分子が、情報の保存と化学反応の操作を両方できるだけでも、十分に驚くべきことなのだから。その仕事をうまくこなせたとしたら、それはまったく余計な奇跡だろう。

史上最初に存在した複製子は何だったのか? RNAの鎖だった可能性は十分にある。不思議な偶然にも、RNAの化学的な材料は、40億年前の生命誕生前の地球で、自然に生じたであろう化学物質だからだ。注意してほしい。進化は生命の起源を説明するものではない。進化生物学は、最初の複製子を説明することを求められてはいない。最初の複製子は、別の複製子から生じたわけではないからだ。進化が記述するのは、複製における統計的傾向である。最初の複製子は、統計的傾向ではなく、まったくの偶然だった。進化が生命の起源を説明すべきだという考えは、まったくの藁人形だ。これもまた、創造論者による歪曲なのである。

最初の複製子が生まれた日、地球を変えたあの日に、原始のスープを眺めていたとしても、最初の複製子がどれほどうまく複製したかに、感心はしなかっただろう。最初の複製子はおそらく、酒に酔ってLSDまで使った猿のような調子で、自分を複製していた。現代の複製子に備わる、入念な微調整の跡など見られなかっただろう。最初の複製子は偶然だったからだ。その1本のRNA鎖であれ、化学的ハイパーサイクルであれ、粘土の模様であれ、巧みに複製する必要はなかった。とにかく起こりさえすればよかった。それでも、単独の出来事として考えれば、おそらくひどく起こりにくかっただろう。だが、一度起こればよく、潮だまりはたくさんあった。それから数十億年後、複製子たちは月の上を歩いている。

偶然に生まれた最初の複製子は、時間の歴史で最も重要な分子だった。だが、それを褒めすぎて、複製に役立つすばらしい能力をあれこれ帰属させたなら、要点をすっかり見失うことになる。

進化論者と創造論者の政治的な争いで、進化を褒める者は科学の味方に違いない、と思ってはいけない。科学には、進化に何ができるかについて、とても正確な見方がある。それより1ミリでも高く進化を褒めれば、創造論に対して「進化の側で戦っている」ことにはならない。科学的に不正確になっているだけだ。それ以上でも以下でもない。「そう、つむじ風には747型機を組み立てる力があるんだ! なんて驚きだろう! 進化はなんとすばらしく賢く、称賛に値するのだろう! 見てくれ、私は科学に忠誠を誓っているぞ! 進化を褒めれば褒めるほど、創造論者に対抗する進化の味方であるに違いない!」と言い張ることで、創造論者の罠にはまっているのだ。

だが、進化を褒めすぎると、本当の驚異が失われる。それは進化がどれほどうまくものを設計するかではない。自然に生じた過程が、何かをとにもかくにも設計してしまうことなのだ。

だから、進化は私たち人間が見習うべきすばらしい設計者、あるいは種の運命のすばらしい指揮者だ、という考えは捨てよう。人間の知能が設計者として進化をまねるのは、現代の洗練された細菌が、生化学者として最初の複製子をまねようとするようなものだ。「ダーウィンのブルドッグ」と呼ばれたT・H・ハクスリーは、こう言った。1

ここではっきり理解しておこう。社会の倫理的な進歩は、宇宙の過程をまねることによってでも、ましてそこから逃げ出すことによってでもなく、それと闘うことによってもたらされるのだ。

ハクスリーがそう言ったのは、進化を信じていなかったからではない。あまりによく理解していたからだ。

Thomas Henry Huxley, Evolution and Ethics and Other Essays (Macmillan, 1894). ↩