非公式日本語訳 — 原著者・発行元による公式の翻訳ではありません

Eliezer Yudkowsky — 非公式日本語訳

進化して絶滅する

Evolving to Extinction

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進化は種全体のために働く、というのは非常によくある誤解だ。二匹のウサギが八匹を産んで「種の生存に貢献する」と誰かが言うのを、聞いた覚えはないだろうか。現代の進化生物学者なら、そんなことは決して言わない。言うくらいなら、ウサギと交尾するほうがましだと思うだろう。

これも、複数の抽象的な概念を同時に考え、区別しておかなければならない例だ。進化が作用するのは、特定の個体ではない。個体は生まれつきの遺伝子を持ち続ける。進化は、繁殖する集団、つまり種に、時間をかけて作用する。「進化の妖精」が種に作用しているなら、種のために最適化しているに違いない、と考えたくなる。だが実際に変化するのは遺伝子頻度であり、その増減は、遺伝子が種全体にどれほど役立つかで決まるのではない。後で見るように、進化して絶滅することは、十分にありうる。

なぜ男の子と女の子は、ほぼ同じ数だけ生まれるのだろう。(人工的な性別選択技術を使う、どうかした国々は別として。)何が不思議なのかを知るには、一匹の雄が二匹、十匹、百匹の雌を妊娠させられることを考えればよい。種の生存を確保するのに、雄が雌と同じ数だけ必要とは思えない。雄が子育てにほとんど関わらない大多数の動物種では、これはさらに不思議だ。人間の父親による養育への投資は、霊長類の中でも際立っている。雌を妊娠させると雄が霧の中へ消えてしまう種でも、性比は釣り合っている。

山の両側にある二つの集団を考えよう。集団Aでは、どの母親も雄二匹、雌二匹を産む。集団Bでは、雌三匹、雄一匹を産む。集団Aと集団Bの子供の数は同じだが、集団Bには50%多い孫と、125%多いひ孫ができる。これは進化上の大きな利点に思えるかもしれない。

だが、こう考えてほしい。雄が少なくなるほど、その繁殖上の価値は高くなる。集団にとってではなく、個々の親にとって、だ。どの子にも雄と雌の親が一匹ずついる。だから毎世代、すべての雄からの遺伝的寄与の総量は、すべての雌からの総量に等しい。雄が少ないほど、一匹あたりの遺伝的寄与は大きい。周囲の雌が皆、集団や種のためになることをして、雌十匹につき雄一匹を産んでいるなら、自分だけ雄ばかり産めば、遺伝的には大もうけできる。その雄たちには、雌のいとこに比べて平均十倍の孫ができるからだ。

したがって、群選択なら女の子が多いほうを有利にするはずだが、個体選択は雄と雌の子への等しい投資を有利にする。産科病棟の統計を見るだけで、ホモ・サピエンスでは、群選択と個体選択の力の量的な釣り合いが、圧倒的に個体選択へ傾いていることが、一目でわかる。

(厳密には、一目だけでは少し足りない。個体選択が有利にするのは、雄と雌の子に対する等しい親の投資だ。雄を産み、育てる費用が半分なら、進化的に安定した均衡では、雄が雌の二倍生まれる。集団全体では同じ数の雄と雌が生まれるのに、雄を産む費用が半分なら、雄を多く産むことで、やはり遺伝的に大もうけできる。だから産科病棟は、狩猟採集社会で男の子と女の子を育てる際の、親の機会費用の釣り合いを反映しているはずで、それをどうにか評価しなければならない。とはいえ、狩猟採集の家族にとって、女の子を育てるほうが繁殖の機会費用が大きいにしても、それほどずっと大きいとは思えない。だから、男の子と女の子がほぼ同数生まれるのは、意味ありげではある。)

自然選択は、集団の話でも、種の話でも、個体の話ですらない。有性生殖する種では、一個体は進化しない。生まれつきの遺伝子を持ち続ける。個体は二度と現れない、一度限りの遺伝子の組み合わせだ。それをどう選択するというのか。祖先のほぼ全員が死んでいることを考えれば、「適者生存」がひどく不適切な呼び名だとわかる。「より適したものの複製」のほうが正確だろう。もっとも厳密には、適応度は複製によってのみ定義されるのだが。

自然選択が本当に関わるのは遺伝子頻度だ。複数の部分が互いに依存する機械のような、複雑な適応が生じるには、新しい遺伝子が進化するたびに、その遺伝的環境に他の遺伝子が確実に存在しなければならない。つまり頻度が高い必要がある。機械が複雑なほど、必要な頻度も高くなる。自然選択が起きている印は、ある遺伝子が遺伝子プールの0.00001%から99%へ増えることだ。これが情報理論的な意味での情報であり、大きく複雑な適応が進化するためには、これが起きなければならない。

自然選択における本当の争いは、生物同士が資源を奪い合うことではない。参加者が次の世代には全員消えるのだから、それはつかの間の出来事だ。本当の争いは、遺伝子プールの中の頻度をめぐる対立遺伝子同士の競争である。それこそ、持続する情報を生む、持続する帰結だ。うなり、角を突き合わせる二頭の雄羊は、通り過ぎる影にすぎない。

ある対立遺伝子が、「種全体にはよりよい」別の対立遺伝子に競り勝ち、固定に至るまで広がることは、十分にありうる。空飛ぶスパゲッティ・モンスターが、種そのものの存続を確保するよう性比を完全に最適化した種を、魔法で作ったとしよう。絶滅寸前の危機から確実に立ち直り、新たな生態的地位に適応するための最適な性比である。それでも進化は、この種の最適状態を急速に崩し、雄と雌への親の投資が等しいという、個体選択の最適状態へ戻してしまう。

種全体を絶滅の危機から救うため、自分の乗り物を犠牲にする「フロド遺伝子」を想像してほしい。その結果、対立遺伝子の頻度はどうなるか。下がる。それじゃ、ありがと、さようなら。

種全体の絶滅の危機が定期的に来るなら(これを「バフィー環境」と呼ぼう)、フロド遺伝子の頻度は系統的に減って消滅し、そのすぐあとには種そのものも消える。

架空の例だろうか。そうかもしれない。人類があと一世紀も生物のままでいるつもりなら、ガンディーのクローンを作り始めるのがよいだろう。ウイルスには、一個一個ができるだけ速く複製することと、病気を伝えるのに十分長く宿主を生かしておく利益との間に、緊張がある。これは現実の群選択のよい例だ。そして、適応度地形の中で群選択の圧力が個体選択の圧力に勝てない地点へウイルスが進化すると、その直後にウイルスが消えてしまうこともありうる。病気が進化して絶滅する現場を捉えた例があるかは知らないが、おそらく何度も起きたことだろう。

分離歪曲因子は、通常なら有性生殖の公平さを保証する仕組みを転覆する。たとえば、あるマウスの雄の性染色体上には、雄の子供しか生まれなくし、その全員に自身を受け継がせる分離歪曲因子がある。その雄たちが雌を妊娠させると、やはり雄しか生まれない。これが続く。「ずるい!」と言いたくなるかもしれない。だが、それは人間の見方だ。この対立遺伝子は、変異していない代替の遺伝子の二倍のコピーを次世代に作るので、繁殖上の適応度が非常に高い。雌がどんどん少なくなっても、この遺伝子を持つ雄は他の雄より交尾しにくくなるわけではない。だから分離歪曲因子は、代わりの対立遺伝子の二倍の適応度を保つ。現実の群選択が、この遺伝子の頻度を、観察される低さにとどめる役割を果たしたのではないかと推測されている。その場合、マウスが空を飛び、冬に渡りをする能力を進化させれば、おそらく単一の繁殖集団となり、分離歪曲因子が固定するまで広がるにつれて、進化して絶滅するだろう。

トウモロコシの全ゲノムの約50%は、主な働きが自分をDNAの別の場所へコピーすることであるDNA要素、トランスポゾンからなる。「P因子」と呼ばれる種類のトランスポゾンは、ショウジョウバエに20世紀の半ばになって初めて現れ、50年以内にその種のあらゆる集団へ広がったようだ。人間の「Alu配列」は、300塩基のトランスポゾンで、ヒトゲノム中に30万~100万回繰り返されている。これで種が絶滅するとは限らないが、役に立つわけでもない。トランスポゾンは突然変異を増やし、それはいつもどおり大半が有害で、DNAの実効的な複製忠実度を下げる。それでも、こうしたずるをするものの適応度は極めて高い。

ある有性生殖する種で、完璧なDNA複製機構が生まれたとしよう。突然変異の大半は有害なので、この遺伝子複合体を持つ者には利点がある。では有益な突然変異はどうか。ときには起きるのだから、変異しないものは不利ではないか、と思うかもしれない。だが有性生殖する種なら、変異する個体に始まった有益な変異は、変異しない個体の子孫にも広がれる。変異する個体は毎世代、有害な変異に苦しむ。一方、変異しない個体は、変異する個体に生じた有益な変異を、有性生殖を通じて取り込み、その利益を得られる。したがって変異する側には、一方的な不利がある。完璧なDNA複製機構は頻度を増し、固定に至る。一万年後、氷河期が来て、その種は消える。進化して絶滅したのだ。

「傍観者効果」とは、誰かが困っているとき、集団よりも単独の個人のほうが助けに入る可能性が高い、というものだ。てんかん発作を起こしているように見える大学生は、傍観者が一人なら85%、五人なら31%の割合で助けられた。私の推測では、狩猟採集の部族の血縁が、近い血縁でない人を助ける選択圧を生むほど強かったとしても、助け手となりうる人が何人かいれば、最後に踏み出す者になるための遺伝的軍拡競争が起こったかもしれない。皆が、他の誰かがやるのを期待して待つ。人類はいま、種全体に及ぶ複数の絶滅の脅威に直面している。言わせてもらえば、踏み出してくる人は多くない。戦場にほとんど誰も現れなかったせいでこの戦いに負ければ、現在姿の見えない、おそらく多数の種と同じように、私たちは進化して絶滅したことになる。

がん細胞は体内でなかなかうまくやっている。繁栄し、より多くの資源を集め、もっと従順な細胞を圧倒する。しばらくの間は。

多細胞生物が存在できるのは、進化を禁じる強力な内部機構を進化させたからにほかならない。細胞が進化を始めれば、急速に進化して絶滅する。生物個体が死ぬのだ。

だから、個体を親身に気遣ってくれると進化をたたえてはいけない。あなたの祖先は、ほぼ全員が死んでいる。種を親身に気遣ってくれると進化をたたえてもいけない。種の保存のために働くとしか解釈できない複雑な適応は、誰も見つけたことがなく、数学的にも、それはほぼ不可能なように見える。実際、種が進化して絶滅することは十分ありうる。人類はいま、その過程を終えつつあるのかもしれない。遺伝子を親身に気遣ってくれると進化をたたえることすらできない。同じ位置にある二つの対立遺伝子の争いは、頻度をめぐるゼロサムゲームなのだから。

適応度は、いつもあなたの味方とは限らない。