非公式日本語訳 — 原著者・発行元による公式の翻訳ではありません

Eliezer Yudkowsky — 非公式日本語訳

不確実なときこそ法則に従う

Lawful Uncertainty

❦

ロビン・ドーズは『Rational Choice in an Uncertain World』で、トヴェルスキーの実験を紹介している。1,2

1950年代後半から1960年代初頭にかけて、ランダムな要素がある一方で、基礎率による予測は可能な出来事について、被験者に結果を予測させる心理学実験が数多く行われた。たとえば、カードの70%は青だが、赤と青が現れる順序は完全にランダムである状況で、実験者が次にめくるカードは赤か青かを予測してもらう。

このような状況で成功率を最も高くする戦略は、より頻繁に起こるほうを予測することだ。たとえばカードの70%が青なら、毎回青を予測すれば、成功率は70%になる。

しかし被験者には、代わりに確率に合わせる傾向があった。つまり、起こりやすいほうの出来事を、それが起こる相対頻度と同じ頻度で予測するのだ。たとえば、70%の回では青が出ると予測し、30%の回では赤が出ると予測する傾向があった。この戦略の成功率は58%になる。青のカードが出るとき(その確率は.70)、被験者は70%の割合で正解し、赤のカードが出るとき(その確率は.30)、30%の割合で正解するからだ。(.70 × .70) + (.30 × .30) = .58。

実際には、被験者は頻繁に起こるほうの出来事を、その発生頻度よりやや高い確率で予測する。しかし予測が正確であるほど報酬をもらえる場合でも、100%の回でそれが起こると予測するにはほど遠い……。たとえば、1,000回の試行にわたり、正解するたびに5セントを支払われた被験者は……[より頻繁に起こるほうの出来事を]76%の回で予測した。

この実験を、賭けの戦略の些細な欠陥についてのものだと思ってはいけない。合理性全体で最も重要な考えを、凝縮して示しているのだ。

被験者は、まるでランダムな並びを何らかの方法で予測できると思っているかのように、赤という予測を続ける。この実験について、ドーズはさらにこう述べる。「1,000回の試行を通じてフィードバックを受けても、被験者は、自分には予測できない状況なのだと、どうしても信じられない」。

だが、誤りの根はもっと深いはずだ。仮説を思いついたと思っていても、それを検証するために、その予測へ実際に賭ける必要はない。「もしこの仮説が正しければ、次のカードは赤だ」と言っておいて、青に賭ければよい。毎回青を選び、できるだけ多くの5セント硬貨をためながら、見つけたと思ったパターンに関する自分なりの予測を、頭の中で覚えておけばよい。予測が当たるとわかってから、新たに発見した並びに切り替えればいいのだ。

仮説を考え続けることについては、被験者を責めるつもりはない。その並びが本当に自分の予測能力を超えていると、どうしてわかるだろう。だが、情報を集めるために必要ではなく、それ以前の予測も文字どおり何百回と外れているのに、その予測に賭けることについては、責めたい。

いくら人間でも、そこまで自信過剰になれるのだろうか。

私はもっと単純なことが起きているのではないかと思う。すべて青に賭ける戦略が、被験者には思い浮かばなかっただけなのだ。

大半が青で、ときどき赤の混じるカードを見て、人は最適な賭け方も、大半は青、ときどき赤という混ぜ方のはずだと思い込む。

情報が不完全なときには、最適な賭けの戦略は、典型的なカードの並びには似ていない、というのは、直感に反する考えだ。

ランダムな要素のある環境でも、最適な戦略は法則に従って行動することだ、というのは、直感に反する考えだ。

自分の行動も、環境と同じように予測不能であるべきだと感じる。だが、違う! ランダムな鍵が、ランダムな錠前を開けられるわけではない。両方ともランダムだというだけでは。

火には火で対抗するのではなく、水で対抗する。だが、そう考えるには、もう一段階、問題文からは直接呼び起こされない新たな概念が必要だ。だから、最初には思いつかない。

青と赤のカードの問題では、私たちの部分的な知識は、毎回毎回、最善の賭けは青だと教えている。その助言は毎回同じだ。30%の回で部分的な知識に逆らい、代わりに赤に賭ければ、そのせいで成績は悪くなる。可能性が低いほうの結果だとわかっているものに賭ける、まったく愚かな行動をしているからだ。

毎回赤に賭ければ、取りうる中で最悪の成績になる。100%愚かなことをしているわけだ。30%が赤いカードを前にして、30%の回で赤に賭けるなら、自分を30%愚かにしていることになる。

知識が不完全なとき、つまり世界にランダムな要素があるように見えるとき、自分の行動をランダム化しても問題は解決しない。行動をランダム化すると、目標に近づくのではなく、遠ざかる。すでに霧のかかった世界で、自分の知性を捨てても、事態は悪くなるだけだ。

最適な戦略は、不確実な状況でも、法則に従って考えることかもしれない。これは直感に反する考えだ。

だから合理主義者は多くない。世界が混沌として見える人の大半は、混沌に混沌で対抗しようとするからだ。火に、火ではないもので対抗することを思い描くには、さらに一段階進み、ぱっと頭に浮かばないことを考えなければならない。理解の浅い人が「合理性は、合理的な人を相手にするにはうまくいくが、世界は合理的ではない」と言うのを聞いたことがあるだろう。だが、非合理的な相手に直面しても、自分の理性を捨てることは役に立たない。思考の法則を破る相手に直面していても、最善の応答を生み出す、法則に従った考え方はある。意思決定理論は、それに従わない相手に出会ったからといって、火を噴いて破綻するわけではない。

これも、青と赤の両方が現れる並びを前に、すべて青に賭けるという考えと同じくらい、自明なことではない。だが、赤に賭けるたびに、期待上の損失が生じる。自分の思考が「道」から逸れるたびに、同じことが起きる。

これによって、スター・トレックのいくつのエピソードが反駁されるだろうか。AIの理論はいくつ反駁されるだろうか。

Dawes, Rational Choice in An Uncertain World; Yaacov Schul and Ruth Mayo, “Searching for Certainty in an Uncertain World: The Difficulty of Giving Up the Experiential for the Rational Mode of Thinking,” Journal of Behavioral Decision Making 16, no. 2 (2003): 93–106, doi:10.1002/bdm.434. ↩

Amos Tversky and Ward Edwards, “Information versus Reward in Binary Choices,” Journal of Experimental Psychology 71, no. 5 (1966): 680–683, doi:10.1037/h0023123. ↩